秋田の観光を考える会に出た

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先日、秋田の観光を憂慮する方々との交流会に参加してまいりました。

短い時間しか滞在出来なかったので数人の方としかお話は出来なかったのですが、
他県からの転勤等事情は違えど、私と同じようにこの地に移住してきた人が多いことにびっくりしました。

私の思っていることを話してみました。
社会的に遅れた考えを伝統という言葉に摩り替えて誤魔化したまま、或いはそういう日常化された悪習が伝承され心自体が新しいものへの変化を恐れ拒み、無難な今を守ることに終始する。その負のスパイラルが超保守的な県民性を形成している。
大凡このような事を喋ったと思います。

他県の方はまさに感じていた通りの印象をもっているようです。
県内の方もそう思っている人が多いのも事実です。

この1年色々な所で同じような事を話したり、ネットにもアップしてきました。
でも反応は「何言ってんだ、よそもんが!」とばかりに80%引かれます(離れていかれてしまいます・・・)
私はこちらに移住してきた以上もっとこうすれば改善できるのにもったいない!と思って
あえて強い言葉で言ってしまうんですが 、それがドン引きされる原因なようです。
痛い所を突かれて腹が立つのでしょう。

あいつはよそから来たくせに分かった風なこと言って、こっちは昔からこれでやってるんだからこのままで良いんだ!
と言うことらしいです。
昔からやってることが全て今の状況に合っているのでしょうか?
伝統とは常に良いほうに改善して試行錯誤してきた歴史があるからこそ長い間続いているのであって
何もせず悪い所もそのままでは先が見えてきてしまいます。

「同じ規格品で構成されたシステムは、どこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人間も同じ。特殊化の果てにあるのは、ゆるやかな死・・・・・・」
ある世界的評価が高いアニメーション映画での主人公の台詞です。

他人の企画に乗っかるだけや、2番煎じ3番煎じのイベントをパクった活性化なんてホント先が見えてるし、
実際その企画(企画とは言わないんですが・・・)に携わった人間たちだけの馬鹿騒ぎに終始してるのが現状でしょう。
やったこともないことを素人のノリだけでやった結果とも言えます。
だからといって人と違うことばっかりやれって事とも違うんですがね・・・

そういうことが分からないほど感性が鈍化してるんですよ。
こればかりは培ってきたものなので説明しようがないのです。
それなのにセミナー開いてみたり、セミナーに出て分かった気になっちゃうのも悪い癖です。
教科書勉強しただけでは身につかないものなのです。

この点のことを悩みいい加減あきらめて、もうどうでもいいやと思いかけていました。
しかし引っ越す前からネットで親交のあった秋田移住の先輩に先日活を入れてもらった結果、
自分でやるしかないんでしょうね・・・ と先輩にならい、思い始めています。

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